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山の豆腐 歴史
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創業 安永六年
創業安永六年(1777年)今年は、創業から 年目にあたります。 安永六年は、 徳川幕府十代将軍徳川家治の治世であり、 この時代は老中 田沼意次 が有名です。 山の豆腐 は、その前身である 松政豆腐製造 の時代から、 連綿と豆腐作りを受け継いでいます。 凍り(こおり)豆腐の里 千早
千早は金剛山の中腹にあって標高500m以上の場所ですので、
大阪にありながら冬の寒さは厳しく、しかし、だからこそ、
凍り豆腐(いわゆる高野豆腐ですが、地元民は決してそのようには言いません)の製造が盛んでした。最盛期には数十軒の凍り豆腐製造業者が軒を連ねており、 松政豆腐製造 も、そんな業者の一つでした。 凍り豆腐産業の隆盛
保存食であった凍り豆腐は、
日清・日露戦争の頃から第二次大戦にかけて
軍用食としても
重宝されました。なんせ、伊達政宗が兵糧として開発したという伝説が残っているくらいですから、戦場食としては筋金入りです。 それが家庭一般にも広がった事で、 大変に売れたとの記録が残っているようです。 特に千早の凍り豆腐は、大阪市場では 「ちはや豆腐」と呼ばれ、 美味しい凍り豆腐として知られていました。 凍り豆腐産業の衰退
昔ながらの製法で手作りしていた千早の凍り豆腐ですが、産業化の波には、やはり太刀打ちできませんでした。製造が機械化され、大型の冷凍庫と乾燥機を使って大量生産されるようになると、もはや千早で冬期間だけ手作りする方法では価格競争に勝てるはずもなく、数十軒もあった凍り豆腐店は次々と廃業して行きました。 凍り豆腐屋 から 豆腐屋 へ
さて、永年に渡り凍り豆腐を生業にしてきた当店ですが、やはり時代の流れには勝てませんでした。「凍り豆腐製造業」としては看板を外すしかなくなりました。しかし、「豆腐店」として現代に残りました。 「美味しい豆腐を皆様に届けたい」その思いが時代を超えて現在に受け継がれています。 今だからこそ、
「豆腐には旅をさせるな」などと言われます。最高の豆腐をお届けできる幸せ。 昔は「凍り豆腐」という保存食の形でしか村外にだせなかった商品でした。 今は、店舗では凍る直前の温度(約3℃)で保存されていますし、 ご自宅までの車や交通機関は夏場なら冷房が入っているのが普通です。 ご自宅まで「豆腐」のままでお持ち帰り頂ける程に、世の中が進化しています。時代の流れは悪いことばかりではありませんね。 低温保冷技術や交通機関の発達により、当店の商品はより美味しい「豆腐」として、皆様の食卓へ届く事が可能になったのです。 大変ありがたい事です。 国産大豆100%、金剛山の水で作った美味しいお豆腐をご用意して、直接お渡しできる幸せをかみしめながら、皆様のお越しを心よりお待ち致しております。 |